yukizuの日記

22歳 男子大学生の ゆるゆると生きていきたい人生の楽しみ

通信制限との戦い

4月11日〜5月10日までの通信量が 20GBに達しようとしている

 

5月10日って明日じゃん とは思うものの、明日は休みで、出かける予定があるし、ラジオは聴きたいし、ネット漫画も読みたいし、どうしようと思っています。

 

通信量を気にして、ネット上の通信量を見る という無駄な通信の使い方をしております 泣

 

昨日、ギターを始めた と言いましたが、教本は ネットですので、それがまた 通信量に負担をかけ、趣味をするのにも 制約がかかるような状態です。

 

自分は 寮に住んでいるんですが、寮のwi-fi、まさかの 繋がるのに ネットには繋がらない。

 

日本語がわけわからないですね

 

携帯端末には、wi-fiの電波が接続されているんですが、その状態でネットを見ようとすると、一向に読み込まれず 接続を確認してください と出る状態です。

 

くそう!これでは wi-fiがある意味がない!

 

となって、今月の通信量がピンチです

 

iPhoneXに機種変更してから 2年以上経つんですが、今まで 20GBなんて大きな通信量 使い切るどころか 15GBくらい余らせていたんですが、生まれて初めて 通信量を気にしました。

 

通信制限が来て 繋がらなくなったら、どうなるのかも わかるかもしれませんね。

 

ネットがないと死んでしまううう!!

なんてのも あながち ありそう。

 

また生きて会える事を願って、携帯の電源を切ってしまおうかと思います 笑

 

それでは、また次の記事で会いましょう

逃げてる時の他ごとのやる気

最近 ギターを始めました。

 

きっかけは、spoonラジオっていうアプリのある配信者さんの弾き語り配信です。

 

中学生の時に母にギターを買ってもらったんですが、コードがうまく弾けず、すぐ辞めてしまって 飾りになっていました。

 

その飾りになっていたギターを、GW中に実家に帰ったタイミングで 寮に持ち帰ってきました。

 

自分が成長したっていうのもあると思うんですが、もっと苦戦すると思っていたギターコードも、弾けるものが多く、毎日のように弾いています。

 

まだ Fコードとか 人差し指で押さえる系は、まだ少し手間取りますが、始めて1週間未満では 弾ける方なんじゃないか と思っています。

 

そこで、何故こんなに ギターにやる気が出てるのか 考えたんです。

感のいい人は タイトルからすぐわかると思うんですが、学業の方が、あまり乗り気になれず 五月病まっしぐらって感じなんですね 苦笑

 

ギターへの集中力を どうにか学業に移せないか と思ってるうちは 移せないでしょうけど、それくらい 集中力が違います。

 

高3の受験の時も 受験勉強が嫌で、部屋に置いてあった電子ピアノで、コトコト弾いてて、ショパンエチュード「革命」を弾けるようになり、続けざまに ベートーベン「悲愴第2楽章」、ドビュッシー「月の光」を弾けるようになりました。← これは 自慢です👍 笑

 

気づいたんです。

 

何かを始めるなら、何かから逃げている時が最適なんじゃないか?と。

 

きっと誰しも 何かを始めようとして、部屋の掃除を始めた事があるだろう。

あの時の やる気といったら、もう、絶好調ですよね。

 

やらないといけない事があるのに逃げて他ごとをする なんてのは、失敗 と 捉える人もいるかもしれない。

 

でも、そうやって逃げて、楽しい事やって生きている人もいる。

 

その一歩は 大きな勇気がいると思う。

 

けど、逃げたくて仕方がない、苦しい、と思っていて、ほかにあれやりたいな〜と思っている事があるのならば、始めるのは「今」なんだと思う。

 

毎日 楽しく生きたいね

 

それでは、次の記事で会いましょう

狂気と人間

人は何かに熱中、夢中になってる時、狂気にあると思う

 

その夢中になっているものがその人の主な世界となり、周りが見えなくなっていく

 

でも、それは 何かを得るためには、1番の近道で、その人にとっては 楽しく幸せな時間なのだと思う

 

熱中しているものがない場合、人は 熱中している人に寄って行ったりする

 

どんな人も 狂気が割と好きで、狂気に満ちていて、それが また 世界を楽しくしているんだと思う

過去の美化

昔は楽しかったな〜!よかったな〜!

 

と思うこと、

それはいい事であるけれど、危険があって、それに囚われてしまうと 今がつまらなく感じてしまう

 

過ぎ去ったものは、記憶の中でしか存在しないから、着色してしまったら それがその人にとっての本当のことになる

 

前はよかったな〜と思った時に、その付近であった嫌なこととかも一緒に思い出すと、事実だけを見れて、まあ、今もそんなに変わらないか と思えたりして、ちょっとは楽になるんじゃないかな

 

これからも 楽しく生きたいね

蛙の子は蛙

子 というものは、周りのものを見て学び、真似をする

 

人の子は、怒り方すら親から真似るという

 

狼なんかは、本能で喧嘩の仕方も知っているらしい

詳しくは知らないので、間違ってるかもしれないが、、、

 

中学生や高校生が、何か大人ぶっているような時、それは 親を写す鏡のようなものだろう

 

蛙の子はオタマジャクシ と屁理屈を言ってみると、人の子は 何色にも染まる真っ白な紙だ

 

どんな色を塗っていくかは 周りがその子の心に植え付ける染料の花の種で変わるだろう

 

子があなたを真似れば、あなたに似た色を塗った絵ができあがる

逆もまた然り

 

令和を作る人の子は、何色の染料の花を持っているだろうか

 

彼らに もっと多くの色をあげられるだろうか

 

平成 ありがとう

令和 よろしく

どこか夢を見ているような

あなたは今 本当に起きているのか

 

どこか 世界が 霞んでいて、現実じゃないような、少し浮いているような感覚

 

周りは しっかり 歩いているように見えて、自分は存在しないかのように感じる

 

焦りは感じないけれど、どこか 遠くを見ているような気持ちで

 

自分は どこを見て どこに向かっているのか

 

それとも、どこにも向かっていないのか

 

森の中を歩くように、海の中を漂うように、風や波は 感じにくい

 

どこかに向かう必要はないのかもしれない。行きたいところがあれば、そこに向かうだけだろう。

 

自分は既に 昔自分が向かっていた目的地にいるのかな。